うるわしのジャスミンティー

花の香りが好きだ。

でも、「どの花の香りが好きなんですか」と訊かれると「ウッ」となる。なんなら「ウッ」と言いながら胸の所を押さえて崩れ落ちたい。そうでもしたくなる程度には返答に困る。もちろんそんなことをした日には花の話題どころか緊急車両を呼ばれかねないが。

とにかく花の香りが大好きなのに、具体的な花の種類を挙げることができない。花って言ったら花なんですよ、花、なんかこう、落ち着く……かぐわしい香りですよ……という体たらく。

 

ドラッグストアなんかで売っている消臭剤やらボディスプレーやらに「フローラルの香り」と書いてあるけど、具体性を欠いているという点でそれらと私は大差ないんだろう。

とはいえ、「フローラルの香り」と銘打ったもの(要するに漠然とした花の香りっぽいもの)を嗅いで心惹かれた経験はほとんどない。むしろ「ウッ」となることが多い。この場合の「ウッ」は「花にしてはきつい香りじゃないか」とか「これじゃ香水だよ」のような文句の意味合いになる。

だったら私が好いているのは「なんとなくそれっぽい花の香りのようなもの」ではなくこの世に存在する花のうちどれかである、という可能性が増す。

 

で、どの花なのか。好きである以上、香りを嗅いだ経験があるはずだ。しかしそれでピンと来るなら苦労しない。

チョウチョやハチであれば今までに嗅いだ花を逐一覚えていそうなものだが、私は残念なことに人間である。脳みそに覚えさせておかねばならないことが多すぎて、花の香りに関するデータベースは非常にうすぼんやりとしている。人間の暮らしがチョウチョのそれよりも複雑である以上仕方のないことだが、こういった素朴なことをあいまいにしてしまうというのはなんだか切ないことであるし、社会が複雑化したことの弊害という気がしないでもない。

 

しかし最近になってようやくその花の正体が判明した。こんなことを引っ張ったって仕方ないのでさっさと言っておくと、それはジャスミンだったのである。

大筋はこうだ。コーヒーばかり飲んでないで紅茶を飲もうと思い立つ。買うだけ買って手を付けていなかったティーバッグを発見。トワイニングアールグレイセレクション、みたいなやつ。香りが5種類あり、そのうちの「ジャスミン アール グレイ」をなんとなく選ぶ。あつあつの「ジャスミン アール グレイ」をひと口……あっ!この香りは!これこれ!これだよ!これじゃないか!!!

という具合。もちろんこれは「ジャスミン アール グレイ」なので純然たるジャスミンティーではない。しかし紅茶の香りとは別に、ふわふわと鼻を抜けていく華やかな香り。それでいて落ち着きも兼ね備えている。人間で言うと白いワンピースをお召しになったお嬢様のようなその香りこそ、ジャスミンのものであった。

 

ジャスミン アール グレイ」をひと口、またひと口。人間だれしも飲み物を飲む瞬間には息を止めているものだが、これをもっと意識的にやってみる。息を止めてひと口、飲み込んでから鼻呼吸。喉の奥から鼻腔に向かってせり上がってくる花のお嬢様!エレガントなジャスミンの香り。

①息を止めて飲む、②鼻呼吸で香りを楽しむ。このふたつはしっかりワンセットでなくてはならない。間違っても②を「口呼吸をする」だの「喋りはじめる」だのにしてはいけない。

ああ、素晴らしい。私の好きな花はジャスミンだったのだ。これでもう、「どの花の香りが好きなんですか」に臆さずに済む。そしてその香りを紅茶として手軽に楽しめるのだ。優雅かつ上品、うるわしのジャスミンティー。

 

せっかくなのでジャスミン精油を手に入れようと試みた。このうるわしい香りをもっと手軽に楽しもうと思ったのだ。しかし悲しいかな、ジャスミン精油は少々(正直少々どころではない)値が張る。これでは手軽も何もあったものではない。もっとも、花から抽出した精油は大概高いので仕方ないのだが。

ところがジャスミンティーのほうは精油と違い、値段のほうも手軽なことが多い。ああ、うるわしのジャスミンティー。私めのような庶民にもたおやかに微笑むご令嬢、まるでノブレス・オブリージュ

しばらくはジャスミンティーに凝る日々が続きそうだ。