神の味噌汁

神の味噌汁、という言葉がある。

神のみぞ知る、をもじった言葉としてあまりに有名だが、「神の味噌汁」なる味噌汁はこの世に存在するのだろうか。

神はこの世に存在しないが、味噌汁は紛れもなくこの世のものである。ならばおそらくありはするはずだ。

そして神と付くからにはよほど美味しいに違いない。となれば、神の味噌汁というのは非常に美味しい味噌汁を指す言葉だろう。

 

しかしここで問題なのが、なにを美味しいと感じるかは各人で異なるという点である。私の好きな味噌汁を神の味噌汁に認定しても、それを忌み嫌う人間からすれば邪神の味噌汁に違いない。そもそも、味噌汁自体を憎悪する人間からは味噌汁の修飾語に「神」を使う時点で睨まれることだろう。

分かり合えないというのは当たり前だが、困ったことでもある。

とは言いつつも、神やら信仰やらというのは元来そういうものではなかろうか。なにを神と思い、なにを信じるかは各人で異なるのだ。神がいると考えるかどうかさえ人それぞれだ。神が神とされるのは大勢の支持を得ているからではなく、誰かに神として信じられているからだ。

食の好みにしたって当然同じことである。大勢が支持するから美味しい食べ物なのではなく、誰かが美味しいと思えばそれは美味しいものなのだ。であれば、なにを美味しいと感じるかが各人で異なるというのは問題にはならないのだろう。

 

この理屈で行くと、私にとって美味しければそれは神の味噌汁と言ってよい。

とりあえず好きな味噌汁は

・なす(そうめんを入れるとさらに美味しい)

・きゅうり(夏場に売っている、太くて大きいものを使う)

・じゃがいも(冬場のごちそう。わかめと合わせても美味しい)

・トマト(意外と美味しい)

・かぼちゃ(甘味が味噌と合っている)

・納豆(刻む。余力があればネギも入れる。)

・もずく(当然ながらもずく酢にされていないものを使う)

・豆腐とわかめ(定番であり王道)

なめこ(ちゅるちゅるとすすって食べるのが美味しい)

・ねぎ(白ネギのこと)

である。

予想はしていたが多くなってしまった。これはどうしたものか、吟味して順位でもつけるべきだろうか。たとえば宗教によっては神の下に天使がおり、その天使にはさらに序列がついていることがある。神の味噌汁、熾天使の味噌汁、智天使の味噌汁……としたほうがいいのだろうか。

いや、そんなはずはない。味噌汁に序列などあっていいはずがない。職業に貴賤がないことと、味噌汁に序列がないことはいずれも自明だ。天使の皆さんには申し訳のないことだが、みんな味噌汁、みんな神様、それでよい。

神がいくらいたって構わない。きっと私は味噌汁の多神教徒なのだろう。